
年収シーマの労働条件は過酷を極めました。
起床は早朝5時半、トウモロコシパンを食べて6時から仕事です。
午前中に6時間の作業をこなし、12時より14時まで休憩。
その後19時まで作業、1時間の休憩を挟んで20時から24時まで毎日残業です。
一日18時間拘束の15時間労働は、なかなかにグッタリする仕事です。
休みは一切なし!旧正月に2週間帰国できるだけです。
5月1日も10月1日も、土日も何もありません。
文字通り人の倍働くという環境でした。
当時の仕事場は、ガイドラインと呼べる物など一切なく、日本から届いた指示書を元に作業を進めるだけという内容でした。
工程分析をして、どう考えても設定納期通りにシップアウトさせることなど不可能と思えるような内容でも、どこからともなく人が集まってきて製品化が進んでいく様は圧巻でした。
スタッフ500名程度の工場だったのですが、納期ギリギリになると倍以上はいたと思います。
納期大丈夫?と聞いても"没問題!"これが当時の中国でした。
何を聞いても"没問題!"、今でこそできる事とできない事をきちんと教えてくれるようになりましたが、以前の中国は何でも来い来いでトンでもない製品を作っていました。
"没問題!"を信用して依頼して、作業過程は妥協の連続です。
できるって言ったじゃん!というのは後の祭りで、他の工場への振り替えなんかもできない状況にまであっという間に追い込まれてしまいます。
そんな現状脱却の為に送り込まれたのが年収シーマの男である僕だったのです。
やらなければならない仕事は山ほどあるのに、最初の難関として"言葉が通じない"。
モノを作るという仕事だったので、とにかく結果が勝負になります。
どんな言い訳をしようが、モノ作りを任されたらばきちんとした製品で応えなければなりません。
まず自分で日本の要求に応える製品を作って各工程の製造方法を実演して見せます。
日本の品質基準に通る見本作りからスタートなので、連日夜中まで翌日の生産に間に合わせるためにサンプルを作ってました。
今思うと、これをしていたので言葉が通じなくてもなんとかなったという気がします。
逆にこのせいで中国語を覚えなかったというのもありますが。。。
見本と色と数字、これだけ揃っていれば言葉が通じなくても何とかなるのが縫製の仕事だったりします。
そんな生活を丸々5年、万里の長城のふもとで過ごしたのでした。
先日からサラリーマンになって朝から働きに行っているわけですが、その会社の運営体制といったら。。。
19年前に僕が赴任した工場そのままの社風です。
やってもやらなくても給料が貰えるような雰囲気、定時になると作業そっちのけで帰宅してしまう仕事に対する意識。
社員全員、頭に霧が掛かったようにボーっと仕事をしています。
経営体質改善という大役を担ってサラリーマンになったわけですが、結果を出すには全員入れ替えた方が早そうです。